七番組武勇伝-土木-

自然現象には逆らうな。
崩れたら、もう1度。
でも強い気持ちは崩さない。
これぞ水門工事の心意気。

 

土木部
杉浦 剛
1997年入社
中部大学 工学部土木学科出身

 

わが町の都市計画を!と目指した建築土木。

 

生まれも育ちも半田市。地元高校を卒業後、愛知県内の大学で土木を学びました。子どもの頃からなんとなく『自分が住む町の都市計画を志す』と夢見てました。若き日の自分が想像していた理想の世界とリアルに学ぶ都市計画はずいぶん違っていたのですが、それでも地元で何かを造って残していきたいという思いだけは変わりませんでした。

当然ですが、就職を考えた時にヨソの町へ出るつもりはありません。働くなら地元・半田。その一択でした。七番組を見つけたのも、入社を決めたのも半田市の企業だったからです。老舗優良企業として地元の評判もいいし。大学の先生のお墨付きも後押しになりました。

自分の現場では誰も損させない。

入社から土木工事一筋。もうずいぶん昔のことですが、現場デビューしたばかりの青っちょろい時代の経験は忘れられません。今ではあり得ませんが、多忙な先輩が別の現場に呼ばれ「あとはよろしく!」と任せられ、気づけば一人ぼっち。ベテランの協力業者さんに教えられ、鍛えられる日々でした。
先輩たちが重視するポイントはナニか。どんな手順で進めるべきか。協力業者さんへの指示は的確か。意図を理解して、効率的に安全に手抜かりなく。経験を重ねていくうちに、自分で考え、責任を持って取り組むとは何かが見えてきました。「いいものを造る」という志。「自分の現場では損をさせない」という信念。自分のミッションが明確になっていきました。

先々の業務を見越しつつ、目の前で取り組んでいる現場品質を守り、施主の満足度を上げ、利益を確実に…。なにも犠牲にしないことが大事です。たった半日工期が増減するだけで利益は大きく変わってしまいます。心がけるのは協力業者さんとのwin-winの関係性です。
全方位で配慮できるようになってようやく一人前だと考えています。私だって干支がひと回りするぐらいかかったのです。いや、本当に苦労しましたよ。

川の工事は水との闘い!

さてようやく本題。『神戸川の水門改築工事』の話です。現在も進行中の最難関工事です。
半田市内を流れ衣浦湾へと繋がる神戸川。その下流に設置された水門は、設置から60年近く経過し、今後の巨大地震や高潮等に備えた改築が必要でした。この工事の監理技術者になったのです。河川の護岸工事、橋梁工事など20件以上の経験は役立っていますが、この水門は別格でした。規模をザックリ説明すると、6階建ビル一棟分ぐらいの大きさ。これまでに携わってきた橋梁より複雑な構造。川底から7m掘る必要あり。そして、流れ続ける川を堰き止めながらの工事。‥‥私に成し遂げられるのか?

苦労して掘った基礎土台は干満潮や高潮・台風の影響を受けて何度も崩れました。で、やり直し。見えない地下水圧による影響を最小限に抑えるための入念な準備も重要です。心が折れかけることが次から次にやってくる。当然、大きな事故が起きないような対策も必要。予期せぬ事態で作業の中断を防ぐために考える。見えないところでの予算取り・判断力も求められました。一歩進んだのに二歩下がって、やり方を工夫して一歩前に進む。工事が始まって6年、計画準備2年。あしかけ8年。常に水との戦いが続きました。完成した水門本体は私の誇りです。
そして任される物件がある限り、挑み続けるのが杉浦流なのです。地元で形に残る何かを造り続けるために。

後輩から見た「杉浦センパイ」

難しく、トータルの工期も長い現場を担当されているというだけでも相当忙しいのに、僕たち若手社員が質問すれば必ず答えてくれます。正直、いつ休んでいるんだろう?と思うほどバリバリと仕事をこなしています。ただ、オフィスで仕事をされている時は、現場にいる時よりもどこか空気が柔らかくて、休日に行くゴルフについて他の先輩方と楽しげに話している姿をよく見かけます。現場では厳しく、オフの日はしっかり羽を伸ばす。メリハリのある働き方をされているのだなと感じます。(写真左:織田一希)

 

杉浦さんとは神戸川水門の現場で一緒に水門工事に携わっています。ひとたび現場に入ると効率的かつ安全に作業が進むよう、シビアな目線でテキパキと現場を采配されています。まだまだ厳しい指導を受けることもありますが、一番近くで仕事ぶりを見ることができる分、多くのことを学ぶことができました。(写真右:能口陸)