七番組武勇伝-建築-
チャレンジが早いほど
難易度が上がるほど
達成感と成長が大きい。
そのことを示し続けたい。
建築部
田島 伸悟
2000年新卒入社
愛知工業大学 工学部建築工学科出身
土木・建築業界を目指したきっかけ
小学校の卒業文集に将来の夢を書いたんです。「建築士になりたい」と。大学進学を前にそのことを思い出したんです。あ、オレそういえば書いたなって。理由はもう忘れました。なんとなく建築分野に憧れを抱き、建物を造りたいという気持ちがあったのでしょうね。 たしかに建築系の学部学科を選ぶ人の9割近くは、建築業界への憧れやスケール感に惹き込まれているらしいのです。‥‥が、しかし、ユルめな私は就活の時、その意志がボンヤリしてました。
ではなぜ七番組を選んだのか。理由は単純。家族も友だちもいる地元で働きたかったから。それに家からカンタンに通える近さだった。そしてこの会社は創業から100年以上の伝統があって安定性十分‥‥という安易な決め手でした。ごめんなさい。進学も就職もただ直感です。でも勘所の良さは、今の自分の人生において大きな武器になったと自負しています。
初の主担当案件の記憶と記録
入社から時間がどんどん経過して、自分の経験も重ね、ずっとこの町で過ごしていると、ジンワリと実感することがあります。ずーっと長年暮らしている地元の風景の中に、自分の手で造り上げたランドマークがあるんだなあ…と。それでとても誇らしい気持ちになるのです。知多半島界隈を見渡すと、半田市の給食センターや常滑市にあるとある企業の社員寮、そしてもはや数えきれないほどのマンション(14〜15棟か)。名古屋市に行ってもビルや住居などが自分のつくった景色になっているのです。ひとつひとつの物件ごとに異なる条件の厳しさ、構造の難しさを思い出せます。 最も印象深いの案件は、意外にも入社1〜2年目に差しかかる頃に担当した4階建ての賃貸物件です。主担当を任せられたときに『1億3000万円の仕事だぞ』と言われて。荷が重かったんですが図面を渡された時にスイッチが入りました。いや、「入れた」。もうやるしかなかった。
初めてのおつかいに出た子どものように、初めて一人で任された現場で不安と緊張感しかありません。図面と工事内容を何度も照らし合わせて眺めました。段取りの最適解を探り、効率的な施工手順を考え、どの協力業者に職人さんを何人手配し、その費用をいくらでお願いするかという交渉まで、自信がないなりにアタフタと進めた記憶は今もくっきりと覚えてしています。もちろんわからないことがあれば都度先輩に指示をもらいましたし、協力業者さんには図面の読み方から各工程の進め方、施工する上で大事なポイントまで、現場のイロハは全て教わりました。試行錯誤しながら完成させた物件です。だからまだあの建物の物件名、間取り、構造、住所、総額の費用までも鮮明に覚えているんです。そして、ひとりでやりきったという達成感もね。
仕事も仲間も大切に
会社の上司・部下だけでなく、協力業者さんも含めて大切な仲間です。なくてはならない存在です。助けられてきた現場の数だけ、絆も深まっていくのです。 だからこそベテランになってきた私たちは部下や後輩や協力業者さんの働き方に配慮します。夜討ち朝駆けで掛け持ちをする時代と違い、今はひとつの現場が完成するとまとめて休みを取るように促しています。工期によっては休日出勤もありますからね。 何より自分自身が、現場担当中は常に仕事が頭から離れないタイプでいけません。本格的に始まると気持ちをオフに切り替えられないのです。なので意識しているのはしっかりと働いてちゃんと休むこと。ムダな残業はせず。仲間にも定時に声をかけます。そうしないと大好きなゴルフに行けなくなっちゃいますからね。
現場によっては心身ともに負担がかかる時期も少なくありません。だから労いや士気向上も含め、飲み会や食事に誘うのが自分流のコミュニケーションの取り方です。利益を上げることは当然ながら、皆で力を合わせなければ造り上げられない仕事だからこそ、協力業者の皆さんも含め「楽しく仕事をする」ことがモットーです。働きやすい現場や職場にすることが大事なミッションになっています。
後輩から見た「田島センパイ」
いつ見てもテキパキと現場を動き回っている田島さん。社内で話す時は穏やかですが、一度現場に出ればピシッと集中し、休む時には思い切って遊ぶ。その切り替え方やメリハリの付け方はお手本にしたいところです。後輩には率先して休みや帰宅を促したり、現場が大変な時にこそ飲み会や食事に誘って、さり気なくガス抜きをしたりしてくれる。そんな田島さんの気遣いのおかげで僕を含めて後輩たち皆、仕事に対して前向きに取り組めています。(竹内遼)