七番組を知る
100年を超える歴史の中で、知多地域とともに発展してきた七番組。
知多に根付いた企業として歩み、これから先の未来も共に進化することを
目標とする七番組の思いをご紹介します。
江戸時代に生まれた
七番組
幕末の動乱が迫る1850年。愛知県の知多半島沿岸で進められていた新田開発において「七番工区」を担当したことが「七番組」の始まりです。
主に土木工事を行なっていた七番組は、1910年に半田市に事務所を構えたことを契機に、建築工事も行うようになりました。
終戦後、街の復興のために高まった建築工事の需要に合わせ、建築事業を七番組の主力として伸ばしていきました。
創業から8代目となった1971年。「株式会社七番組」として法人化した七番組は、土木と建築、それぞれの分野で知多地域のまちづくりに貢献しています。
知多に住む人々の暮らしの中に
七番組の仕事がある
まだ「総合建設業」という言葉もなかった時代から、七番組は知多に暮らす人々の生活に密接に関わってきました。
建築分野では、市役所や学校といった公共施設や商業施設に留まらず、寺社やマンション、個人宅も手掛けます。
土木分野においては道路や橋梁、管工事といったインフラ工事から、公園や住宅地の造成に至るまでを手掛けています。
海に囲まれた知多半島の沿岸部の護岸工事や、行き交う船の安全な通り道を作る浚渫工事にも携わっています。
七番組が手がけてきた街づくりが、知多に息づく文化を築いてきたのです。
共に知多の街並みを創ってきた
地元企業との「絆」
知多の歴史と伝統を築くための一翼を担ってきた七番組の現在があるのは、多くの強力企業の力添えがあってのことです。
現場で一緒に工事に取り組む職人さんや、建物のインフラ設備を整える技術者の皆さんなど、古くから付き合いのある知多地域の協力企業の方々と力を合わせることで、初めて街づくりができるのです。
同じ地域に根付いた企業同士が力を合わせることで、その場所に仕事が生まれ、街が活性化していきます。
知多に暮らす人々だけなく、企業との関係を大切に守ることが知多地域の発展につながります。
歴史に誇りを持ち
新時代へと前進する企業に
七番組をこの先の未来にも残していくためには、時代に合わせた働きやすい企業へと進化していかなければなりません。
「男性中心の社会」「キツくて危険な仕事」「休みが取りづらくプライベートを犠牲にしなければならない」
よく建築業界のマイナスイメージとして挙げられる働き方ではなく、女性でも現場で活躍でき、社員や職人さんの安全を守り、ワークライフバランスの充実した働き方ができる企業を体現するための取り組みを行なっています。
どんな環境が働きやすいか、どんな困りごとがあるのか。より働きやすい企業になっていくために、社員の声に耳を傾け試行錯誤と改善を繰り返しています。